2022
07.08

嫌の気持ちの肯定(ゆら)

シリーズ1「マイベスト違和感」, メンバー記事

マイナスの感情はなぜ、否定されがちなのだろうか。
多数が好きなことが嫌いなこと、心が疲れてしまうこと、ちょっと自分だけでやるにはしんどいなと思うこと、他にもたくさんあると思うがこれらの感情を抱いているというと、甘えだとかなんとか言われることが多い気がする(全員が言ってくるわけではないが)。

例えば、多くの人が好きな食べ物が嫌いだと人生損してるよ!などと言われたり言ってしまったり、委員長などのすごく大変な仕事をたくさんする人が誰にも頼らずに一人でやることが良い意味で強いとかすごいとか言われているところを聞くと私は違和感を感じる。
私は感情を出すか出さないかはコントロールできても、今自分の中にある感情をコントロールすることはできないと思っている。だから、自分の中のマイナスの感情を人からの言葉で変えることなんてできないのだ。マイナスの感情だって自分の気持ちであり、プラスの感情と同等であるのになぜこんなにも ないもの のような扱いを受けるのだろうか。辛い状況の人にマイナスの感情を忘れて楽しく生きよう!なんてできるわけがないじゃないか。なぜ目の前にある辛いという気持ちを無視して、プラスに変えたがるのか。

2年前くらいの私は、きっと周りの友人達と自分を比べて知らない間に劣等感を感じて自分に対する自信が少なくなっていた。自分の価値を、目に見えやすい成績や外見だけから見出そうとしていた。その時に、自分に自信がある人のマインドを知ったことで私はその考え方に依存してしまい自分を縛ってしまった。自分のことが全部好きじゃないと自信を持てないと思ったから、自分の好きになれない部分も好きになろうとした。でも、上手くできず辛かった。
だけど、「自分の見た目は好きじゃないから、世間に最近出てきたどんな見た目でも美しいんだよという考えは共感できない」という人をTwitterでみた時に、マイナスの感情を持つことは悪いことなんかじゃないんだということに気がついた。これは私の中でとても大きな発見だった。

私は最近よく言われる自己肯定感というものの「自分のことをすべてプラスに捉えましょう〜」(私の認識が間違ってたらごめん)というような雰囲気は私達の中のマイナスの感情をないものとしてくるような気がして違和感を感じる。自分のことが好きになれなくて何が悪いんだ、私の感情を潰さないでくれと思う。私は、嫌だ、疲れた、やりたくない、誰かに助けてほしいと思う気持ちを誰かに愚痴ったり、自分自身で否定しないようにしたりすることで自分を好きにならなくちゃと思っていた気持ちが楽になったと感じる。マイナスの感情が芽生えることは当たり前であって、それは消さなくても良いはずだ。私は、自分のやりたくないことは周りに正直に言えて、誰かに任せたり助けてもらったりできて、自分も自分ができることで他の人のやりたくないことを引き受けられる環境を作っていきたいと思う。