ワガママSDGsとは

ワガママとSDGs(とジョンレノン)


“SDGs”という言葉が、実は、あまり好きではありません。
……正確には“SDGsという言葉の使われ方が”、かな。
“私、良いことしてるでしょ?”アピール感が、プンプンしている気がして。

・殺すとか殺されるとかなく、みんなが平和に生きている
・強欲とか飢えとかなく、みんなが世界のすべてを分ちあっている

ジョンレノンがImagineで歌えば涙するのに、
なぜ“SDGs”と言われると、急にイヤになってしまうのだろう?

私は、“社会起業家”とか“ソーシャルイノベーター”と言われることがあります。
それは私が、若者や女性向けの、社会参加支援をしている(らしい)からです。
これからの時代を主体的に、そして他の人と力を合わせて生きるための、
学びの場と、働く場づくり。
……って、めちゃくちゃ説明しづらい。

だから“SDGs”という言葉に出会ったとき、正直、
「ラッキー!」と思ったんですよ(音声を変えて顔を映さないインタビューのかんじで)。
「ええ、そうです。学びの場づくりはSDGsの4番“質の高い教育をみんなに”で、
働く場づくりは8番“働きがいも経済成長も”ということですね」
すると、いままで“CSR”や“社会貢献”や“オルタナティブ教育”に関心がなかった方も、
「ほう、ほう」と言ってくれる。
しかも「良いことですね」とまで、自動的に言ってくれる。

でも、ごめんね。それ、ウソかも。

良いことしよう、だなんて、ちっとも思っていない。
私は、すごくいろんなことができなくて
(切符をなくす時代が終わったらすかさずICOCAをなくすぜ!)、
しかも誰かに言われたとおりにするということが決定的にできない。
まあまあダメなやつ。
そんな私が、必死で、
自分がごきげんに生きられるような働き方ができる場をつくろうとしたり、
そのために自分自身が学びたいことを学べる場をつくろうとしているだけだ。
ぶっちゃけ、ぜんぶ自分のためですよ(音声変えてね)

「育児しながら、ちゃんとやりがいも感じ、食っていけるような仕事つくりたい」とか
「神戸に、出口治明さんに来てもらって、こどもたちに質問攻めにあうとこ見たい」とか、
なんのこっちゃねん。怒られたことも何度もあります。
「それはあんたの、単なるワガママやろ」と。

せやで! もう、開き直るわ。
ぜんぶ私のワガママやねん。
そんなワガママ、自分しか言わんから、ずっとやっとんねん。

そうしたら、いつしか「いいねー、私も一緒にやるー」というひとたちが現れた。
気がつくと、ワガママはすこしずつ叶って、
そのたびに「やったー!」と一緒によろこぶ仲間が増えていた。

「私はフワフワ夢ばっか話してるけどさ、それって、私ひとりだけじゃないみたいだよ」
ジョンレノンが歌ったときって、こういう気分だったんじゃないかな。

もう、ワガマメ!(←命令形?)
誰かに褒められたいからではなく、
自分がやりたいからやる。
だから、結果が出なくても、やめずに続けられる。

これほんとのサステナブルちゃいますやろか。

Imagine,
貧困がなくなって飢えもなくなってみんな健康で
きれいな水に囲まれた素敵なまちで安心なエネルギーつかって
みんなちゃんとした買い物して会社はちゃんと儲かって
いつも気持ち良い朝、豊かな海と大地、
こどもたちは素敵に学び、男女平等で、ひとも国も平等で
すべてのひとが平和と公正のもとで生きる地球を。
それを、みんなで力を合わせてつくるんだ~♪

こんなこと書いてるSDGsって、むちゃくちゃ壮大なワガママやんか。
ジョンレノンでもここまで言ってないで。
こんなん、「良いことしよう」程度のちっぽけな下心で続けるの、ムリ。

私は、ワガママであり続ける。
自分のやってることが”SDGs”とか言われて、
なんか恥ずかしなぁと思っても、やめずに続けるために。
それが私のSDGs、かな。

2021年4月
リベルタ学舎 代表 湯川カナ


他者からの評価や社会的な正解を求めるのではなく、
自分のワガママからスタートした課題をみつけ、
その課題を解決するために、
実際に地域のさまざまな人と力をあわせてやってみる。

ワガママSDGsは中高生が自分事として発見した社会課題の解決、
ワガママの実現を協働して「試作(プロトタイピング)」する
SDGs実証プロジェクトです。