2022
07.08

一人の良さ(あきる)

シリーズ1「マイベスト違和感」, メンバー記事

僕が生きている中で違和感は気付けないものの方が多いと思います。知らない間に当たり前になっていて違和感ではなくなっているのかもしれません。自分でもよくよく考えて見れば出てきますが、たくさんの人の意見を聞いている中で新しいいことが浮かぶこともあると思います。

今思いついた自分の中で当たり前になってしまっていたことは何かを授業でリサーチをするときにwikipedia を見てはいけないということです。いつの間に自分の中で当たり前になっていたのかは分かりませんが、自然と学校では避けるようになっていました。今改めて考えてみるとwikipediaは的確な情報が細かく乗っていて情報収集が簡単にできると思います。今日のプレゼンテーションでwikipediaを活用しているところを見て気がつきました。早く簡単な情報が欲しい時は使おうと思います。

先日違和感があるということは自我があるということだと聞きました。
そして改めて考えてみると自分にあっていることなら他の人はどうしてやらないのだろうという違和感を覚えたり、他の人の常識と自分が違うときにも違和感を感じるのだということに気がつきました。違和感のほとんどは他人がいるから成り立つものだということにも気がつきました。
僕は、友達がいないということに違和感を感じません。そして友達がいないと心配になってしまったり寂しくなってしまう人もいると聞きました。僕は一人でいる事が好きなので特にそのようなことを思ったことはありませんでした。しかし他の人と話す機会があったので気づく事ができました。
このように他人や周りの人と話すことによって自分が持っている当たり前が一体本当に当たり前なのかを確認するいい機会となりました。

一人でいると他の人に惑わされる事なく自分の事を考えることができます。それは学校などで周りがガヤガヤしていると考え事に集中できず気が散ってしまうからです。
僕が唯一人でいる場所は駅から家に帰るまでの20分ほどです。そこでは音楽を聴きながら自分のことについて考える事が多いです。自分の事と言っても特に自分の将来や夢のことや今自分はなにをしているべきなのかを考えることが多いです。
このような事を考えるきっかけになったのは夢を失ったからだと思います。夢を失ったからこそ今何の為に何を行っているのか、行なったから何かいい事が起こるののかがわからなくなってしまいました。自分のことを考える事で落ち着いてリラックスした時間を過ごすことができたと思います。僕の周りには自分と同じような経験をした人がいないので話が会う人がいないのも一人でいることが好きな原因かもしれません。

違和感を直そうとする事が正しいとは言えません。例えば法に触れる事だったり他人に害を及ぼす事なら直すことは間違っているのだと思います。しかし違和感を覚える人が自分に近い人(家族や友達)だった場合多少のリスクを負ってまでも直すことも必要かもしれません。それは自分を保つ為にも自分は何かを確認する為にも必要だと思います。